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新秋津キリスト教会のブログへようこそ。 初めての方はまずカテゴリー内の「最初にお読み下さい」をご覧下さい。
2013.09.26 Thursday

バイリンガルの夕拝が始まりました(毎週金曜日)Bilingual Evening Service

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    REJOICE! Multicultural Christian Gathering
    Every Friday, from 17.30
    バイリンガルの夕拝が始まっています(毎週金曜日17:30)
     

    REJOICE! is a monthly Christian gathering for those who like English and fellowshipping with people from different countries in a multicultural atmosphere. Connect with us at a mini-worship service and a potluck party.

    We hope and pray that you would rejoice always through REJOICE!
    When: Every Friday , 17:30-
    Where: Shin-Akitsu Christ Church
    Admission: Free. 
    Contact Joshua Park: Email: jpbyfaith21@gmail.com
    REJOICE! は、外国の方との交流やマルチカルチャーなスペースがお好きな方のために
    新秋津キリスト教会で毎週開かれている、英語&日本語ミニ礼拝&ポットラック(持ち寄り食事会)です。
    REJOICE! を通して、賛美にあふれた楽しい時間を分かち合いませんか?
    日時:毎週金曜日17:30-
    会場:新秋津キリスト教会 (JR武蔵野線 新秋津駅右折すぐ)
    無料、使われる言語はシンプルイングリッシュ&日本語です 
    主催:聖契キリスト教団 新秋津キリスト教会
    お問い合わせ Email: jpbyfaith21@gmail.com

    2013.06.10 Monday

    日曜礼拝を動画で見ることができるようになりました

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      毎週の日曜礼拝の動画を以下のサイトで見ることができます。
      礼拝の様子を知りたい方、日曜日の礼拝に出ることのできない方、ぜひご覧ください。
      (右に表示されているバナーからもジャンプできます)

      礼拝は10:30AMからです。
      どなたでも参加できますので、ぜひ一度足をお運びください。

      2012.10.04 Thursday

      障がい者の家族・ご本人の話し合いの場「心の泉会」開催中

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        新秋津教会では、心の病の方やその家族のための憩いの場・話せる場「心の泉会」を開催しています(毎月第3水曜日午前10:30より)。定期的に開かれますので、ご本人やご家族の方、自分の思いを語ることのできる場ですので、ぜひいらしてみてください。
        世話人 牧師・勝本正實(社会福祉士、精神保健福祉士、相談支援専門員)


        2010.06.10 Thursday

        人は死んだらどうなるか

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          人生儀礼について 


          人は死んだらどうなるか

           

           主イエスが死から肉体を持って復活されたとき、弟子たちは信じられず、また期待もしていなかった、と聖書は記しています。主イエスが前もって何度も死と復活を語っておられたというのに、頭でわかっていることと本当に信じていることとの問には距離があります。

           

           私たちの場合はどうでしょう。以前、日本のクリスチャンへの信仰に関するアンケート調査を思い出します。驚いたのは体の復活を信じると答えた方が半数を超えていたものの、みんなではなかったという点です。教会で聖書がそのまま語られていない事実があるのか、精神的・象徴的な意味にすりかえられてしまい、常識的な理解にとどめようとされているのかもしれません。体の復活を信じるということは、今も信仰を持つ者へのまじめな問いかけなのです。

           

          日本の国で霊魂の存在を信じる方は多くいても、自分の体の行く末を考える方はどれくらいいるのでしょう。以前、「人は死んだらゴミになる」という言葉を見かけました。退廃的で享楽的な生き方を象徴する悲しい表現です。昔の日本では死んでも「別人」、しかも「血縁」に生まれ変わることを期待し、特に小さな子どもはあえて家の近くに埋葬したようです。しかし一般には、遺体の復活を恐れ、縛ったり、ひざを折ったり、石を抱かせたりして埋めたようです。つまり、墓地は怖い所だと考えられていました。それは私たちの国では、生まれ変わりを願う信仰はあっても、体の復活は望まず、土に返すものであり、「別人」として生きたいと考えられていたからです。

           

           ところが徐々に時代がくだるに従い、遺骨に対するこだわりや墓への執着が増し、反対に見えない世界への関心が薄れてい造泙靴拭死んだら「あの世に行く」というより、「墓で暮らす」というような現実的な思いが強くなっています。墓に関する以前の暗さは消え、「死後のすみか」として、日当たり良好、風光明媚(ふうこうめいび)な場所を求め、墓の形や色や方向にこだわります。まるで、建売住宅を探している風景です。

           

          自分が見て経験していることしか信じられなくなっていく私たちに、復活のできごとは、「あなたは神のカを信じるか」と問いかけています。信仰は、私たちの常識や、私たちの経験以外にも真実があることを教えてくれるのです


          2010.06.09 Wednesday

          聖書が語る死の二つの意味

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            人生儀礼について 


            聖書が語る死の二つの意味

             

             病院には四号室がまずありません。時にはホテルやアパートにも見当たりません。過剰と思えるほどに四=死という連想にとらわれています。これは多くある忌み言葉のたぐいであり、言霊信仰(ことだましんこう)が背景にあって、不吉な言葉を口にすると現実になるとの縁起をかつぐためです。また死を穢れ(かがれ)・不浄と考えることが長く息づいており、清めの塩に代表される習慣が残っていることからもうかがえます。仏教が日本に受容された理由のひとつに、死者を葬る役割を引き受けたことをあげることができます。

             

             死にまつわることで、昔から大切にされてきたことの一つに、死に際、散り際を大切にするという考えがあります。「終わり良ければすべてよし」ということで、死を迎える時がおだやか・安らかであれば先々も幸せであろうとか、生前の行いが良かったからだと理解しますが、もし万一、苦しみの中で死んだり、非業の死を遂げたりすると、陰口さえ言いかねない雰囲気が残っています。これは死を美化する「いさぎよさ」、「みごとさ」が武士の精神として広まったものと思われます。しかし実際には、死に至る状況は千差万別であって見た目ではわからないものです。

             

            さて、死について聖書が「罪の結果」であると教えているのは、聖書を知る人にとって常識です。しかし別の面があります。つまり、罪を犯すようになつた人間にとって死は「神のあわれみ」でもあるのです。創世記 三章二十二節には「手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように」されたと記されています。罪を犯し、病に苦しみながら、人生の苦労を背負いつつ生き続けることは、苦痛であり恐ろしいことでもあります。それよりむしろ罪の人生に一度終止符を打ち、救いの道を備えて、復活の生命に生かすことを神は準備されたのです。

             

             聖書が死について警告するのは、死そのものの恐ろしさではなく、死後のさばきがあるからです。ですから、今の人生の大切さを説き、死から新しい生命への救いを語るのです。不吉な言葉や病気の苦しみ、寝たきりになることへの不安にとらわれるのではなく、今の時を神とともに生きることが、最も良い死への備えであり、確かな希望の道です。いかに死ぬかというよりも、死に至るまでの人生をいかに生きるかが大切ではないでしょうか。


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