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2020.05.28 Thursday

5/31 牧師の書斎からNo.9

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    牧師書斎からNo.9

    2020年5月31日

     

    プロテスタントの教会の礼拝で、聖書朗読と説教が中心的なところだと言われています。今回、私たちは新秋津キリスト教会の礼拝順序のそういったところを見てみます。この部分を「神様からみ言葉をいただく」と言ってもいいでしょう。

     

    聖書朗読〜 パウロがテモテに次のことを書き送りました。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(第2テモテへの手紙3:16)聖書の箇所の朗読無しの礼拝は考えられません。み言葉をもって神様が礼拝者、そして教会全体に、大事なメッセージを与えてくださることを私たちは信じます。礼拝司会者が朗読するか、あるいは会衆と交読するか、どちらでもいいですが、聞く側で、これは私たちのための神様のみ言葉として聞くべきです。できれば、礼拝が始まる前にそのみ言葉を読んでおいて、「どうか神様、このみ言葉を受け入れる様に私の心を開いてください」という様に祈るのが進められます。

     

    説教〜 ある教会の礼拝ではこれを「宣教」、または「メッセージ」と言います。なぜかというと、「説教」という単語の漢字の意味として考えるなら、「説いて(説明する)教える」ことで、学問的な印象を受けてしまいます。礼拝の説教はそういうものではなく、神様からのコミュニケーションです。もちろん説教者は聖書の箇所を十分に説明ができる様に学んでそれを伝える必要があります。しかし何千年も前に書かれたことが今の時代を生きている私たちのために与えられている、これが説教の土台です。説教者も、説教を聞く一人ひとりも、このみ言葉を自分の信仰生活の中でどう意味をもって、どう適用するかを考える必要があります。

    ここで一つ大事なことを理解していただきたいです。み言葉は神様から与えられていますので100%信頼できるわけですが、説教は人間が準備して語るものですから、そのまま受け入れることではなく、み言葉に合っているか、み言葉を忠実に伝えているかは聞く側の責任です。ここで説教者を疑うべきだ、というふうに私は進めているわけではありません。説教者が時間をかけて、祈りをかけて説教の準備をするはずです。神様のみ前に、み言葉を正しく述べ伝える責任を負っています。そういう責任があるわけですから、説教を聞く人は説教者のために祈るべきです。

     

    祈祷〜 説教が終わったら、説教者は祈ります。礼拝の中で会衆がいただいたみ言葉を考えて、神様に感謝しながらそのみ言葉に従って生きることができる様に神様の助けを求めます。

     

    礼拝の他のところと同じ様に、「神様からみ言葉をいただく」というこの部分においても、神様が礼拝する会衆、一人ひとりと共にいてくださることを信じます。説教を通して聖霊が働いていることを期待します。これは本当に大きな恵みです!


    2020.07.12 Sunday

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