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2010.06.09 Wednesday

聖書が語る死の二つの意味

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    人生儀礼について 


    聖書が語る死の二つの意味

     

     病院には四号室がまずありません。時にはホテルやアパートにも見当たりません。過剰と思えるほどに四=死という連想にとらわれています。これは多くある忌み言葉のたぐいであり、言霊信仰(ことだましんこう)が背景にあって、不吉な言葉を口にすると現実になるとの縁起をかつぐためです。また死を穢れ(かがれ)・不浄と考えることが長く息づいており、清めの塩に代表される習慣が残っていることからもうかがえます。仏教が日本に受容された理由のひとつに、死者を葬る役割を引き受けたことをあげることができます。

     

     死にまつわることで、昔から大切にされてきたことの一つに、死に際、散り際を大切にするという考えがあります。「終わり良ければすべてよし」ということで、死を迎える時がおだやか・安らかであれば先々も幸せであろうとか、生前の行いが良かったからだと理解しますが、もし万一、苦しみの中で死んだり、非業の死を遂げたりすると、陰口さえ言いかねない雰囲気が残っています。これは死を美化する「いさぎよさ」、「みごとさ」が武士の精神として広まったものと思われます。しかし実際には、死に至る状況は千差万別であって見た目ではわからないものです。

     

    さて、死について聖書が「罪の結果」であると教えているのは、聖書を知る人にとって常識です。しかし別の面があります。つまり、罪を犯すようになつた人間にとって死は「神のあわれみ」でもあるのです。創世記 三章二十二節には「手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように」されたと記されています。罪を犯し、病に苦しみながら、人生の苦労を背負いつつ生き続けることは、苦痛であり恐ろしいことでもあります。それよりむしろ罪の人生に一度終止符を打ち、救いの道を備えて、復活の生命に生かすことを神は準備されたのです。

     

     聖書が死について警告するのは、死そのものの恐ろしさではなく、死後のさばきがあるからです。ですから、今の人生の大切さを説き、死から新しい生命への救いを語るのです。不吉な言葉や病気の苦しみ、寝たきりになることへの不安にとらわれるのではなく、今の時を神とともに生きることが、最も良い死への備えであり、確かな希望の道です。いかに死ぬかというよりも、死に至るまでの人生をいかに生きるかが大切ではないでしょうか。


    2019.08.11 Sunday

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